最高裁判所第二小法廷 平成9年(あ)324号 決定 2000年2月17日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人小林俊明の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
なお、本件において妨害の対象となった職務は、公職選挙法上の選挙長の立候補届出受理事務であり、右事務は、強制力を行使する権力的公務ではないから、右事務が刑法(平成七年法律第九一号による改正前のもの)二三三条、二三四条にいう「業務」に当たるとした原判断は、正当である(最高裁昭和三六年(あ)第八二三号同四一年一一月三〇日大法廷判決・刑集二〇巻九号一〇七六頁、最高裁昭和五九年(あ)第六二七号同六二年三月一二日第一小法廷決定・形集四一巻二号一四〇頁参照)。
よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官河合伸一 裁判官福田博 裁判官北川弘治 裁判官亀山継夫 裁判官梶山玄)
《参考・原原審判決》
主文
被告人を懲役一年に処する。
未決勾留日数中一三〇日を右刑に算入する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一 平成四年一一月一五日施行の下市町長選挙に際し、同選挙選挙長による立候補届出受理業務を妨害しようと企て、同月一〇日午前八時三〇分、同選挙長山本勇が、奈良県吉野郡下市町大字下市<番地略>の下市町役場二階会議室において、同選挙の立候補届出受理業務を開始した際、立候補届出をすると称して同所に赴き、同選挙長において、被告人以外に一名の立候補届出人があったことにより受付順位を決定するくじを実施しようとし、これに先立ち立候補予定者の戸籍抄本、供託証明書等を確認しようとしたところ、「戸籍抄本、供託証明書を提示せよという規定はどこにあるのか。」「根拠がなければ提示せずにくじを引きたい。」などと申し向け、同選挙長を困惑させて戸籍抄本等の確認作業を断念させ、次いで、右くじの方法につき用意されていた方法を変更するよう執ように要求し、その後くじの方法が決定し、くじを引くよう促されても、その場にちょ立したままくじを引こうとせず、度重なる要請を受けてようやくくじを引こうとしたが、その際「気を付け。」と怒号するなどし、よって、受付順位決定まで約三時間三〇分の時間を費やすことを余儀なくさせて右手続きを遅延させた上、右くじの過程において、突如一七名の立候補届出をする旨同選挙長に申し向け、選挙ポスター掲示場の区画の増設及び立候補者に交付する選挙運動用自動車表示板等の物品の追加調達を余儀なくさせ、さらに、右くじ終了後立候補届出の必要書類を受付会場で作成すると称し、同選挙に関する事務を行う職員から所定の用紙を受領してその記載を開始したが、故意に記載を遅延させるなどして手続の進行を困難ならしめ、よって、右くじ終了後受付順位第一位の候補者の立候補届出受理まで約三時間四〇分の時間を費やすことを余儀なくさせて右手続を遅延させ、もって、偽計及び威力を用いて同選挙長の立候補届出受理業務を妨害し、
第二 平成五年七月一八日施行の第四〇回衆議院総選挙に際し、奈良県選挙区選挙長による立候補届出受理業務を妨害しようと企て、同月四日午前八時三〇分、同選挙長巽末治が、奈良市登大路町の奈良県庁第一会議室において、同選挙の立候補届出受理業務を開始した際、自己を含む一〇名の立候補届出をすると称して同所に赴き、同選挙に関する事務を行う職員が立候補予定者の戸籍抄本、供託証明書を確認するに際し、被告人が立候補届出をすると称している一〇名分の戸籍抄本等立候補届出に必要な書類は、あらかじめ奈良県選挙管理委員会の事前審査を受け、同委員会から審査済みの書類を封入し封印した封筒一〇通を受領していたのに、被告人において、右各封筒を開封して審査済みの書類を取り出した上、「ばか、あほ、まぬけ」等と記載した書面一枚のみを入れて封をし、右封筒一〇通をぬれた新聞紙で包んで同選挙に関する事務を行う職員に示した上、「そん中にうんこが入っていると思ってんねやろ。今日はそんなことせえへん。」などと申し向け、あたかも右各封筒に審査済みの書類のみならず汚物が在中しているがごとく装って、同職員による戸籍抄本等の確認作業を困難ならしめ、また、同選挙区の議員の定数が五名であるところ、被告人において一〇名分の立候補届出をすると称し、その他八名の立候補予定者があったため、同選挙長において受付順位を決定するくじを実施しようとしたが、右くじに際し、被告人において、くじを引いたのにその番号と立候補予定者名を同職員に告げず、あるいは、棒状のくじを引くに際し、所携の玩具のマジックハンドを使用するなどし、よって、受付順位決定まで約四〇分の時間を費やすことを余儀なくさせて右手続を遅延させ、さらに、被告人において立候補届出の必要書類を受付会場で作成すると称し、同職員から所定の用紙を受領してその記載を開始したが、故意に記載を遅延させるなどした上、これを促進させるため同職員が制限時間を設けたのに対し、「誰がそんなことを決めたんや。」などと怒号した上、所持していたボールペンを机上にたたき付けるなどし、よって、受付順位第一位の候補者の立候補届出受理から受付順位第八位の候補者の立候補届出受理まで約一時間一九分の時間を費やすことを余儀なくさせて右手続を遅延させ、もって、偽計及び威力を用いて同選挙長の立候補届出受理業務を妨害したものである。
(証拠の標目)<省略>
(被告人らの主張に対する判断)
一 被告人によれば、本件の検挙、訴追は、憲法一四条に違反し、被告人の政治活動を弾圧する意図で行われた違法、不当なものであるから、公訴権の濫用として本件公訴を棄却すべきであるというのである。
しかしながら、本件の検挙、訴追が不当に差別的であったと認めるべき証跡はないから、所論は前提を欠き、採るを得ない。
二 被告人によれば、選挙管理委員会の選挙長が行う立候補届出受理事務は、権力的公務であるから、業務妨害罪にいう「業務」に当たらないというのである。
しかしながら、本件において妨害の対象となった選挙長の立候補届出受理事務は、なんら被告人らに対して強制力を行使する権力的公務ではないのであるから、右事務が業務妨害罪にいう「業務」に当たるというべきであって(最高裁判所昭和六二年三月一二日第一小法廷決定・刑集四一巻二号一四〇頁参照)、所論のように法令上の根拠条文がないことなどをもってこれを否定するのは相当でない。
三 被告人及び弁護人によれば、被告人には当該選挙長の立候補届出受理業務を妨害する犯意も業務妨害の行為に出たこともないというのである。
しかしながら、被告人が当該選挙長の立候補届出受理業務を偽計及び威力を用いて妨害する行為に出たことは証拠上明らかである上、立候補届出の受付順位を決めるくじ引きをわざと長引かせるなどの行為が、業務妨害の結果を惹起することになるとの認識が被告人になかったとは到底言い難い。それどころか、被告人には積極的に当該選挙長の立候補届出受理業務を妨害する目的意思を有していたというべきである。そのことは、妨害行為の態様それ自体に照らしても、また、下市町長選挙の際には立候補届出の受付順位を決定する過程で突如一七名の立候補届出をすると言い出しながら、一人だけの立候補届出をし、その余の立候補届出をせず会場を退出し、衆議院選挙の際も一〇名の立候補届出をすると称しながら、一人の立候補届出もせず会場から出ていることなどの状況にかんがみても、明らかである。業務妨害の結果を惹起することの認識すらなかったかのごとき被告人の言い分は当を得たものではなく、所論は採用することができない。
(法令の適用)
(刑法については、平成七年法律第九一号による改正前の規定を適用する)
一 該当法条 単純一罪として刑法二三三条、二三四条
一 刑種の選択 各所定刑中懲役刑を選択する
一 併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をする)
一 未決勾留日数の算入 刑法二一条
一 刑の執行猶予 刑法二五条一項
一 訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文
(量刑の理由)
被告人は立候補届出の受理という選管の重要な業務を遅延させ、これを妨害したものであるが、それにとどまらず、出陣式の取りやめなど他の候補者の選挙運動の開始をも妨害する結果を招いているものである。このように民主政治の根幹である選挙業務及び選挙運動の公正を損なった被告人の行為は強く非難されるべきである。もっとも、本件を戒めとして真の民主主義的精神の実践を望むことも刑政の目的に沿う所以であるかと考えられる。そこで、そのほかの情状をも総合勘案の上、主文のとおり刑の量定をした。